*** 注意! 以下には本誌連載分のネタバレがあります ***
どうも、「ネギま!で遊ぶ」監修役の、いずみのです。実は今、Taichiroさんがアメリカを発って日本へ帰国している最中ですので、彼は更新作業ができない環境にあることをお伝えしなければなりません。
そこで、Taichiroさんじきじきに「96話の記事は全てお任せします、好き勝手やっちゃってください」と頼まれましたので、好き勝手書きたいと思います(笑)。ある程度はTaichiroさんの文体を真似ながらになりますが、よろしくお願いします。
さて! 早速ですが、96話を総括すると「これまでのキャラクタードラマやテーマの全てが、ネギ一点に収束した」記念的な回だった、ということが言えるでしょう。ぶっちゃけ、漫画読みとしては全96話を通して一番面白かったと言ってもいいエピソードでした。今回は、その点を重視して『魔法先生ネギま!』という作品の漫画的テーマを捉え直す試みをしてみたいと思います。
本当は「毎週濃い記事を更新するのは(書く方も、読む方も)大変だろうし、そろそろ手を抜こうかな〜」とか考えていたんですが、こんなに重要にエピソードだと本気で書かざるをえません。どうぞ、気合いを入れてお付き合いください(笑)。
ストッパーをかけてくれる人がいなくなったのでかなり濃いのですが、濃さだけは保証します。
■ 憧れの父親
最初から見ていきましょう。まず冒頭の3ページを使って、ネギとタカミチの出会いと、ネギの父親に対するタカミチの憧れが描かれます。時系列的には、現在の2〜5年前といったあたりでしょう。(6年前の「雪の日の夜」〜魔法学校卒業までの間。)
(2ページ目)
タカミチ「彼らは今もぼくの憧れであり‥ 目標さ」
(3ページ目)
父親であるナギに追いつこうとずっと努力しているネギですが、ナギを目標にしているのはタカミチにとっても同様であったということが初めて描かれます。
(8巻65話)
(具体的に尊敬されている描写は少ないのですが)ナギは英雄的な魔法使いと呼ばれ、その仲間達は多くの魔法使いにとって憧れの存在なのでしょう。タカミチもその例外ではありませんでした。これでタカミチは、ネギが目標とする対象というより、ナギを目標とする者同士の先輩といった感じの側面が強調されたと言えます。(タカミチがラブひなの瀬田さんと違うのはこういう部分ですね。)
余談ですが、この記念写真は20年前に撮影されたもので、中央がナギ(当時15歳)、その右上が木乃香の父である近衛詠春です。一番右端のオジサマキャラが謎で、容貌が似ていることからタカミチの血縁者ではないか? という説が読者の間では有力だったりします。タカミチが「あの人に‥‥」の後で「‥‥いや あの人達に」と言い直したことにはそういった含みもあるかもしれません。
■ 11巻収録分のおさらい
次に、単行本11巻に収録される90〜95話の流れを再確認しておきましょう。
・ 90,91話:いいんちょと千雨が主役のクラスメイト編
・ 92話:武道会に向けたインターミッション(「サギタ・マギカ」や「瞬動術」などの解説)
・ 93話:まほら武道会の開幕(クラスメイトの棲み分け開始)、小太郎初戦突破
・ 94,95話:楓初戦突破(「縮地法」の解説)、龍宮×古菲戦、高音初戦突破
92,94話では瞬動術や縮地法などの設定が事前に小出しにされており、それが今回の勝負の鍵になっています。95話では、ネギが「圧倒的な強さの相手にあきらめない心」を古菲戦から学び取ってもいることも重要です。
また、90,91,93話を通して、クラスメイト達をファンタジーパートと日常パートの双方に棲み分けさせていることが面白い、という読み方は93話解説の時に示したことです。ネギの生徒達がまほら武道会を観戦するということは、それだけファンタジーパート(ネギの戦い)と強い繋がりを持つことになります。
■ クラスメイト達の居場所
では、96話時点におけるキャラクター達の居場所をチェックしましょう。
・ 選手控え席(5):
(6ページ) (7ページ)
【小太郎+古菲+楓+明日菜+刹那/カモ+エヴァ】
・ 観客席(8):
(8ページ目)
【のどか+ハルナ+木乃香+夕映/高音+愛衣/千鶴+夏美(※ネギ戦が終わり次第撤収)】
(10ページ目)
【千雨+茶々丸】
・ 舞台上(2):
(12ページ目)
【朝倉+さよ】
31人中のほぼ半数、15人のクラスメイトが会場内にいることがわかります。(超、葉加瀬、龍宮の3人もいると思いますが、今回は行方不明です。)
■ キャラクタードラマがネギに収束する!
『魔法先生ネギま!』は、キャラクターを動かすことによってストーリーが成立する「キャラクター漫画」です。主人公のネギを中心にして、個性ある何人ものキャラクター(その大半は31人のヒロイン)全てが、意味のある行動を繰り広げることでドラマに厚みが生まれる仕組みが1話から貫かれています。それがネギま!最大の特徴であり、面白さだと言っていいでしょう。
タカミチに立ち向かうネギの姿が描かれる96話では、これまで行動を積み重ねてきたヒロイン達(+サブキャラ)の視線が、一気にネギ一人へと注がれます。
古菲はネギの瞬動術を完成させるために最後まで指導に付き合い、小太郎は助言を与えて敵に塩を送り、エヴァは「とにかくぶつかってこい」とハッパをかけます。直接の師匠である古菲とエヴァがネギをかまってあげているのは当然のこと。
(楓、刹那、古菲、小太郎の応援。7ページ目)
(※ちなみにこの刹那の台詞、本来の演出意図では「最初の一発を当てれば‥‥」と喋らせるつもりだったのに、写植ミスでこうなったとの裏情報が)
選手控え席におけるこのコマの流れでは、楓一人だけが別コマのアップで特別扱いされていることも見逃せません。楓は、ネギにとって一番最初の師匠的存在だったからです。
(3巻21話)
実は、「ネギがバトル編で落ち込む」→「クラスメイトによって癒される」→「再びバトル編に突入して勝利する」というネギま!の基本パターンが形式として完成したのは、楓のクラスメイト編が最初なのです。
おかげでネギは、どうしようもない時にはクラスメイトに逃げてもいいんだという一種の退路を得たことになります。しかし、退路という余裕を持つことで逆にネギは成長しました。それまでのネギは追いつめられると逃げ出してしまう性格の主人公だったのですが、楓のクラスメイト編を境にして、決して逃げ出さない性格の主人公へと進化させてもらえたのです。
この時の楓は、クラスメイトの代表だったと言えるでしょう。
(応援の描き分け。8ページ目)
観客席のクラスメイト達。これは一人ずつ、表情と台詞で応援のスタンスを描き分けている細かい演出です。のどかと木乃香はネギの強さを無条件に信頼していますが、ハルナはネギの強さをまだ知りません。のどかの嬉しそうな「うん」にはノロケも入ってる感じですが、ネギに微妙な恋心を抱いている夕映は心配そうな顔。
ネギとの付き合いがそんなに深くないはずの夏美までもがスケジュールを押して観戦し、千鶴はのんびり構えてます。それぞれがネギに対してどういう感情を向けているのかが、ちゃんと読み取れる描写です。
(10ページ目)
また解説者席周辺では、茶々丸が「あ あの‥」「ネギせんせ‥ネギ選手に勝算はあるのでしょうか?」と、少し私情の入った質問をして、豪徳寺の戦況分析に聞き入っています。
「客寄せのための見せ物だ どーせどっかでボロが出るさ」と自分に言い聞かせている千雨もネギの勝負の行く先が気になるようで、解説を聞き取ろうとなんか必死です。本当に見せ物だと確信しているのなら、気にしなくてもいいはずなのに。
(「こんな異常な大会に出れるハズが‥‥」8ページ目)
千雨は93話以降、魔法バレとツンデレ(笑)を予感させるヒロインとしてここ最近のプッシュが目立つクラスメイトですが、ある意味でネギの戦いを一番意識している観客が彼女かもしれません。千雨もまた、ネギの実力をまだ知らない生徒の一人です。
(8ページ目) (前回95話)
最後に、再び選手控え席。ネギに「が‥‥がんばって」とエールを送る明日菜ですが、タカミチへの想いとの間で揺れています。まぁこの、明日菜を抱きしめる刹那、という図がめっちゃ美味しいのですがそれはまぁ置いといて(笑)、
(7巻62話)
明日菜はネギのパートナー候補として、努力して傷付くネギを一番よく見てきたクラスメイトであり、ゆっくりと強い絆を固めているメインヒロインです。だからこそ生まれる葛藤だったと言えるでしょう。試合中、明日菜がどちらを応援する結果になるのかも今後の見所です。
(8巻67話)
ちなみにこれが、明日菜同様、ネギのトラウマである「雪の日の夜」を知っているクラスメイトの面々です(左からエヴァ、木乃香、古菲、のどか、刹那、夕映、朝倉、茶々丸)。今回のエピソードでネギを応援しているメンツとほぼ一致している点に注目。
■ メインテーマがネギに収束する!
このようにして、クラスメイト達に後押しされるカタチでネギが頑張り、そしてネギが頑張るからこそクラスメイト達も応援する、というパターンがネギま!の基本構造。いわば、クラスメイト達はネギの推進剤なのです。
生徒達の後押しを一身に背負うネギは、小太郎も警戒する強敵、タカミチに挑みます。(ちなみに、試合前のアナウンスで「学園の不良にその名を知らぬ者なき 恐怖の学園広域指導員」「たった一人で幾多の抗争を鎮圧」という肩書きがタカミチに与えられますが、これはタカミチの威厳のハク付けになっていると同時に、巨大学園である麻帆良の世界観を大きく広げている良い演出ですね。)
では、肝腎のバトル内容は(スピード感のあるコマ割りが面白かったのですが)解説をすっとばすとして、ネギの感情の流れだけを追うことにしましょう。
正体不明のタカミチの能力に対して、一度ネギは「様子見して攻略法を探す」という選択を取ろうとします。その時に思い出されるのが、楓や刹那や古菲や小太郎の助言、そして、師匠エヴァの言葉です。
エヴァ『貴様少し小利口にまとまり過ぎだぞ』
『まず流れをつかむことが重要でござるよ』『最初の一発を当てれば‥‥』
『足元の意識がおろそかになってるアル』『それで一発KOはないハズや』
エヴァ『とにかくぶつかってこい』
(12ページ目)
この、「貴様少し小利口にまとまり過ぎだ」という台詞の初出は、45話分も過去に遡ります。窮地で踏ん張るネギのためにエヴァが救いに駆けつけるという、修学旅行編最大のクライマックス、読者人気も高い名エピソードです。
(6巻51話「再臨・闇の福音!」)
これはネギま!の、少年漫画としての折り返し地点を象徴する台詞だったと今では言えるでしょう。
当時のエヴァはまだネギの師匠ではありませんでしたが、実は、既に師弟関係に近い繋がりを持っていたことがここから読み取れます。その時の「後先考えず突っ込んでみたらどうだ」という言葉の延長として、今回の「とにかくぶつかってこい」が来るようにも読めます。
そして、ネギがエヴァの言葉を思い出していたこととは別に、師匠のエヴァは一方的にネギの成長を信頼しています。
(「私の思った通り成長しているのだとしたら」11ページ目)
その信頼に応えるかのように、ネギは様子を見るという選択を捨てます。
ネギ『‥‥そうだ相手はタカミチ 負けてもともと‥‥』
『失敗したっていいや!! やってみる!!』
結果、いきなり付け焼き刃の瞬動術で突進し、その瞬動術を成功させます。そして、思い切って飛び込んでみたらタカミチの技を封じることにも偶然成功しています。なぜタカミチの技を封じられたのかは、まだ本人も全然理解できていません。しかし、このチャンスを殺さないよう、ネギが必死に粘りつこうとするところで次回に続きます。
(エヴァのモノローグ。18ページ目)
このネギの選択を、エヴァは満足そうに正解だと誉めてやります。更に、その正解の理由が語られるのですが、これはエヴァの持論なのでしょうか。
エヴァ「恐れていては何もできん」
「あらゆる局面において重要となるのは 不安定な勝算に賭け
不確定な未来へと自らを投げ込める 自己への信頼・一足の内面的跳躍」
「つまり『わずかな勇気』だ」
…………なんと、こんなところで「わずかな勇気」というこの作品のキーワードの中身が語られてしまうんですよ! 実はこの「わずかな勇気」という言葉、ネギま!の1話に登場して以来、この96話に至るまでたったの一回しか「おさらい」されていないほど登場頻度の低い言葉です。
(作品を象徴するキーワードの提示。1巻1話)
(キーワードの「おさらい」はこれっきり。3巻21話)
(6/1追記 : 読者の方からいただいたタレコミにより、「わずかな勇気」は9巻の77話でも「おさらい」されていることが分かりました。情報感謝です。)
(9巻77話より)
作品内における初出は「ネギの祖父=魔法学校の校長」の言葉であり、エヴァ個人の持論というわけではないのです。
作品のテーマを象徴するキーワードであるにも関わらず、ずーっとスルーされてきた上に、その言葉の真意も謎のままだったのが、この「わずかな勇気」でした。せいぜい明日菜が「勇気を出して告白しよう」と考える程度にしか物語に反映されていません。
それが唐突に、エヴァの口から、
わずかな勇気=不確定な未来へと自らを投げ込める自己への信頼
であると、この漫画の中で初めて定義されます。
更にこのことは、学校生活の経験がないはずのエヴァが、なぜ魔法学校の校長(ネギの祖父)と同じ言葉を教えている(同じ信念を持っている)のか? という疑問も生みます。この疑問によって、この「言葉」が持つ普遍性や値打ちも深まってくるのです。
(3巻25話)(魔法学校校長。1巻1話)
エヴァはいつ、どこで、この「わずかな勇気」という言葉を手に入れたのでしょうか? エヴァは魔法学校に通ったこともない魔法界の犯罪者であり、悪の魔法使いです。するとこの言葉は、「いい魔法使い」側も「悪い魔法使い」側も、双方の魔法使いが普遍的に目指している真理であると想像することができます。その場合この言葉は、魔法界における古いことわざ(格言、成句)のようなものなのでしょう。ついでに言えばエヴァは魔法学校の校長よりも年上ですから、それだけ古い言葉だったという可能性もあります。
あるいは、校長の言葉をナギを通じてエヴァが手に入れたという別の可能性もあるかもしれません。もしナギを通じて手に入れたと想定した場合、それだけナギの影響力が強かったということですから、エヴァやタカミチがナギに惹かれていた理由もそれだけ説得力が増すでしょう。漫画としては、こっちの解釈の方が面白いかもしれませんね。
■ わずかな勇気
しかし、この「わずかな勇気」という概念は、バトル漫画(熱血マンガ)のテーマとしては結構珍しい側面を備えています。王道でありつつ、少し変化球なところもあるのではないでしょうか。
大抵の漫画における「勇気」は、主人公が危険な状況の中に追い込まれ、その最中にピンチを経験して恐怖や不安のボルテージを上げていき、主人公の心構えが最高潮に達した瞬間にその恐怖を乗り越えるというカタチで「勇気」の強さを表現するというものが主流だと思います。作品のテーマも、その瞬間の勇気を説明する方向に向かいがちです。
それが、今回のネギま!の場合はどうでしょう。ネギはタカミチの本当の怖さを知りもしない状況で選択を迫られます。恐怖もナニも、まだ戦いは始まる前です。
しかし、エヴァはネギの突進を「わずかな勇気」だと言って誉めてやります。戦いが始まったばっかりなのに、もうクライマックスみたいなノリの解説シーンです(笑)。ネギま!的には、追い込められた後の勇気より、戦闘前の「わずかな勇気」の方が重要なテーマとして優先して語られています。
この差は興味深いものです。普通の熱血マンガ的な、「危険な状況に追い込まれたシチュエーション」では、大抵、相手の情報も自分の実力も出尽くしており、未来もある程度想像がついてしまうからです。そうなると、主人公の心構えも充分できているでしょう。
でもそれでは、「不確定な未来へと自らを投げ込む」という「わずかな勇気」は表現しにくいんですね。そこそこ想像がつく未来なわけですから。
エヴァは92話でも、今回のエピソードに繋がるいい台詞を喋っています。
(「人生はいつも準備不足の連続だ」92話)
つまり、情報収拾や戦闘準備といった、いわゆる「心構え」のできていない状態でも前に進むことを覚えろ、ということがネギま!のメインテーマのひとつであるということがここから読み取れるでしょう。
しかし、こういった「わずかな勇気」の表現をサラッとすっとばしている漫画というのは多いような気がします。主人公が危険な戦いに飛び込む場合、恐怖を根性で無視するか、ムリヤリ巻き込まれるのが普通です。大抵の主人公は気が付いたら戦っていて、ピンチに追い込まれているというパターンが多いのです(その方がスピーディに盛り上がるから)。
そして戦いがクライマックスに達した時には、既に主人公の心構えは大体済んでいます。決心するまでの展開がタップリ用意されることも多いでしょう。
逆に「心構えのできていない状態でよくわからない未来に飛び込む」ことの「勇気」をメインテーマに据えた漫画というのは珍しいような気がします。(麻雀漫画なんかだとたまにありますが。)
しかし一般人としての読者にとっては、「気が付いたら戦っていてピンチ」というドラマチックなシチュエーションを経験する機会自体が少ないということが言えるでしょう。そういうシチュエーションの中にいるということ自体が、とっくに勇気を出していることを前提にしているからです。勇気を出せない人はピンチ自体を経験できません。
確かに「気が付いたら戦っていてピンチ」の中で心構えの済んだ勇気が描かれる漫画は読んでいてアツく、主人公にも強く憧れられるのですが、そのまま読者が参考にするにはちょっとしたハードルがあります(参考にできない、というワケじゃありません)。その一方で、「わずかな勇気」が描かれる「不確定な未来へと自らを投げ込む」というシチュエーションは、どんな人間でも共感できる状況だと言えます。
何かを始めたいのだけど、始める気にならない(逃げようかどうか迷っている)、というような状況には誰でも直面したことがあるでしょう。そして、一般の人間が一番勇気を必要としているのは、むしろそんな場面ではないでしょうか? すると、それだけ読者が共感して参考にもしやすいテーマをネギま!は選んでいるのだと言ってもいいかもしれません。
■ 作者、赤松健の人生訓
「負けてもともと」「失敗したっていいや」「恐れていては何もできん」「人生はいつも準備不足の連続だ」「後先考えず突っ込んでみたらどうだ」といった台詞を読むにつれて、どうしても連想してしまうのが作者である赤松先生の日記帳だったりします。
世間的には、ロジカルで計算高く、何事にも慎重な作家だというイメージを持たれているんじゃないかと思うのですが、実際の氏は、結構ノリで実行する「行動派」の人物であると認識しています(私見ですけど)。
行動派の人間であると同時に、一種の臆病さや計画性も兼ね備える性格が、氏をクリエーターとして成功させたのではないでしょうか。それはそのまま、人間としての求心性にも繋がっていると思います。職場の上司としてこれだけ信頼できそうな人もなかなかいません。
ネギま!は従来の作品(AI止まやラブひな)に比べ、主人公(ネギ)に対する作者の自己投影度が低い作品だと言えますが、逆に作品的なテーマに関しては、作者の経験則や人生観がさりげなく反映されている方だと感じています。
むしろ、作者のナマの経験から生まれたテーマだからこそ読者も共感できるチカラがあると言ってもいいでしょう。取って付けたような、デタラメな理屈を描いているわけではない、ということですね。
とは言っても、赤松氏の人となりをよく知らない読者の方が多いはずでしょう。そこで、赤松先生の日記帳から、ネギま!のテーマを連想できる部分をいくつか抜粋して紹介してみることにします。これで興味の湧いた人は、原文を探して読んでみてもいいかもしれません。
1997年9月22日
例えば、漫画の新人賞に応募したとしましょうか。
(中略)
・・・絶対に、結果を待っていてはいけません。
そして、命がけの代表作を描いてはいけません。
できれば新人賞に応募したことなどは、すぐに忘れた方が良いでしょう。
その余った時間を何に使うかと言うと、もう一つ投稿作を描いて、
別の新人賞に送るのです。
これが、「危険の分散」の基本的な考え方です。
別の作品を描いていれば、前の作品がどうなろうと、希望は前のめりで
保つことが出来ます。どちらにしろ結果はすぐには出ないので、その間に
もう1本パンチを出すのです。
(中略)
この例では、一連の作業が当落結果ではなく練習を兼ねているため、
「いつまでたってもデビューできない」という流れをかなり緩和することが
できます。
ただ描いて待っている人よりも回転が速く、感情の起伏もなだらかなんですね。
あまりプライドを持たず、本気でやらないのがキーポイント。
・結果を楽しみに待っているのは危険です。入選したらラッキー!くらいの
気分でいきましょう。
・決して、一つの作品を命がけで描いてはいけません。その作品が
駄目だった場合に、貴方は作家としてあまりに大きい傷を負って
しまうからです。
2000年7月30日
何か物事を始めるというのは、何らかの反動があるということで、反動を
受けるのが嫌な人は、何も始めてはいけないわけだけど。(すぐヘコんだりするし)
私は昔から何かを始めるタイプなので、反動には強い方ですけど。
弱い人は、いつも「もうやめる。」とか言ってますね。漫画家もサラリーマンも。
2001年4月10日
気付くと綺麗なビルの法政大学を発見。学生でごった返すキャンパスで休憩。
(中略)
・・・大学は良いやね。パワーや夢や反抗心があって。
まあ、今の若い奴らは(映画なんか)撮らないし(漫画も)描かないけどね。
(じゃあ何をするかというと、評論するのだ。作るのはダサいし疲れる。)
それでも、私もパワーを少し分けてもらってきた気がします。
2002年8月12日
漫画は、アニメやゲームや映画と違って個人作業なので、天才的な作家が
出現しやすい環境にあります。(集団作業の中では才能は埋もれやすい)
若い奴らには、もっと積極的に「売り」に出て欲しいものです。
「買い」はほどほどにして。
……プロの漫画家という立場もあって、新人デビューについての教訓が中心ですが、どことなく今回のエピソードを連想しないでしょうか(特にひとつ目とふたつ目)。エヴァがここに書かれている内容の代弁者であるかのようにも見えてきます(気のせい?)。日記で書いてることはかなりクールなんですが、それを漫画に落とし込むと熱血風に読めるというのも面白いですね。
以上、とても長くなりましたが、最後に面白い絵をひとつ。赤松スタジオのアシスタントであるMAX氏が、同人誌で描いてた赤松先生の近況図です(1999年頃のもの)。
「今回もオレの作戦ミスだったな! スマン! みんな!」「でもできた!」
こういうノリが赤松先生のイメージだったりします(笑)。まさに準備不足の連続。めっちゃナマの経験です。
■ 今週の武術ウンチク
今回出てきた「八極拳の活歩」は、実在する技と全く使い方が異なるただのマンガ技ですから、解説しても特に意味はありません(笑)。実際の活歩は、踏み込んで着地した後にわざと足を滑らせて前進(滑走)し、打撃の射程距離を延ばす技です(不意打ちに使うという点では一緒ですけど)。例によってこれも『拳児』に登場します。
■ おまけ
今回の本筋とは関係の無い伏線なのですが、朝倉とさよの動向にも注目でしょう。
(さよの手。12ページ目)
もし、超一味がさよの存在に気付いていないとすれば、朝倉と超一味の裏のかきあいが水面下で進行している可能性があります。高いステルス能力を持ったさよは、優秀なスパイとしての活躍が期待できるからです。
(「ま 利用されるだけの私じゃないさ」84話) このさよの手が映るカットは、朝倉がさよに諜報活動をさせていて、今はその定時報告をさせているという描写かもしれません。こういう重要そうな伏線をさらっと描いて流してしまうあたりもネギま!の怖いところです(笑)。
■ あとがき
さてさて、今回は「キャラクタードラマの収束」「メインテーマの収束」「作品のテーマと赤松先生」というみっつのお題で“ネギま!で遊ぶ”をお送りしたわけですが、……楽しんでいただけたでしょうか(笑)。ぶっちゃけ「濃すぎる」と感じた人はご安心下さい。次回からはまた通常の運営に戻るでしょうからね。 それではまた、次回はTaichiroさんの記事をお楽しみに。
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■ お勧めリンク(号外)
*赤松健論 : いずみのは、このサイトでもネギま!の記事を書いています。ネギま!で遊ぶの基礎理論ともいえる内容ですので、未読の方はぜひご一読を。コラムの”『魔法先生ネギま!』の読み方”から入って、”ネギま!編”に進むのがお勧めです。 *むぎページ
: 日記絵に高音・D・グッドマンと古菲。
*ハルモニア*
: 絵日記は日々更新。Taichiroさんといずみののイチオシ絵描きさんです。
*ほかほか弁当: いずみののイチオシ絵描きさんその2。
*雑兵の修行場: 応援中の絵描きさんです。私信ですが、そろそろネギま!のアイコンをコンプリートしてください(笑)。
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